Exception Diary
2009.02.28 [Sat]
_ 植田正治「僕のアルバム」
…という写真集を買った。近くの書店でこれを立ち読みできるところがあって、見るたびに気になっていたもの。1930年代の古いモノクロ写真で、鳥取の写真館のおっちゃんが自分の妻などを撮りためたネガが発見され、それを写真集にした、と解説に書いてある。
とにかく、奥さんが19才で嫁いできたばかりの頃の、はにかんだ笑顔がとても良い。最後は、まだ小さな子どもたち4人と鳥取砂丘で撮ったと思しき写真で、「あと2年で半世紀も一緒にいたことになったのに 妻が先にいってしまった。」「妻がいなくなった直後の写真は無口に見える」というキャプションが添えられている。私は、これを見るたびに胃の腑が「きう」と締め付けられる心持になり、そして、何故かとても気持ちが落ち着くのだ。
写真って、ビデオと違って一瞬を切り取るだけなんだけど、いいポートレートって、本当に時間の厚みを感じさせるんだよね。この写真集の奥さんは、芸術写真にのぼせて撮影に飛び回った夫に代わって写真館を切り盛りしたこともあったらしい。この夫妻、二人とももうこの世にはいないんだけど、それでも、その当時の妻の「それでも心から幸せだったんだ」という思い、それから、そんな妻を思いやる写真家の思い、その両方が詰まった時間の厚みが、遠い昔の写真を通じて心の奥底まで伝わってくるのだ。これが胃の腑の「きう」の正体だろう。う~ん何度見ても飽きないよなぁ、と思いながら、毎日この「きう」を楽しんでいる。
この「植田正治」っていう鳥取の写真館のおっちゃんも、これを残せただけでも幸せ者だと思う…ってここまで書いたとこで何気なく植田正治をググってみたら、文字通りひっくり返った。この人、独自のポートレートの手法が"Ueda-cho"(植田調)と世界でもそのまま呼ばれるくらい高名な写真家で、何と鳥取には植田正治写真美術館というものまであるらしい。あやうく無知をさらけ出すところだった。危なかった。
そういえば、私が知っている写真家といえば、篠山紀信とか荒木経惟とか、若い頃お世話になった先生方ばかりなのである。これではイカンと思いつつ、写真史の本など図書館から借りて読もう、などと思う昨今である。
※ちなみに私も、旬を過ぎててもまぁ…などと考えつつ妻に「モデルにならない?」というと「あんたの趣味に付き合う気はない」とすげなく断られた。僕の「僕のアルバム」は、出来そうにないのである。
NIKON D90, 30mm, F2.8, 1/60sec., ISO400, -0.7EV (Sigma 30mm F1.4 EX DC HSM)